2011年12月14日水曜日

伝統楽器

今日は太鼓の授業に見学に行って、太鼓を体験しました。リズムに合わせられなくて恥ずかしかったけど、楽しかったです。
これをきっかけに、中国の太鼓とほかの伝統楽器について調べました。
1. 太鼓
中国の太鼓は和太鼓と似ていますが、やはりそっくりではないです。中国では、太鼓が古くから演奏されていると知られていますが、あまり主役として演奏されていないような気がします。
中国の太鼓の歴史は新石器時代まで遡れるそうです。当時の太鼓の土で焼かれたものだといわれています。



動物の皮を使って太鼓を作るようになったのは、私が読んだ文章から見れば、商の時代[殷とも言われる紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年]の前後からだそうです。
今はこんな様子です。
2.中国の伝統楽器
中国の伝統楽器はたくさんありますが、その中で、私が一番興味を持っているのは、7千年の歴史もあるシュン(漢字は「埙」)という土で焼かれた楽器です。私は歴史のあるものが大好きですから。日本では、同じタイプの楽器は土笛と呼ばれているそうです。
シュンを詳しく紹介するビデオ(英語の字幕がついています。)を1つ見つけました。

   そしてシュンで演奏した曲も一曲見つけました。とてもいい曲で、おすすめです。
  もう1つ興味を持っているのは古琴(こきん、グーチン)という3000年の歴史がある楽器です。漢民族の撥弦楽器の中で最も古いといわれています。そして、演奏のビデオも1つ見つけましたが、またいい曲で、おすすめです。

  
ちなみに、注目してほしいのは、ビデオの中で古琴を引いている人が着ている服こそ、中国の漢民族の伝統的な「漢服」という民族衣装で、チャイナドレスは満州民族の伝統的な服装ということです。(伝統的な服装とはいえ、今はもう数少ない愛好者しか着なくて、日常生活どころか、祝日のときでも着られていないです。)
時代によって漢服の様式も違います。
(1)漢の時代[紀元前206年―220年]












(2)唐の時代[618年-907年]


  飛鳥奈良時代日本に伝わって、同時の人が唐の衣装を参考して着物を作ったという考え方があります。
(3)明の時代[1368年-1644年]






























































  明の服装は当時の韓国に伝えられ、韓国の人々に愛され、今韓国の民族衣装は明の時代の服装を参考として作られたといわれています。

2011年12月5日月曜日

いじめについて

今日は不都合で発言しなかったですが、いろいろ考えました。
面白いことに、私は中国でいじめを受けたことはないですが、日本に来てからはじめていじめられました。別に気にしてはいないですが、むしろ面白いと思いました。いつも一匹オカミの私には友達が少ないとは言え、一度もいじめられたことがないし、悪口をいわれたことも聞いたことがないぐらい自由自在なのに、こちらでは嫌みを買うとは思わなかったのです。確かにノリが悪くて、不器用で人への好意をうまく伝えられないかもしれないですが、人をなめたり傷つけたりするようなこともいっさいしません。それでも、いじめられるよ、ということが分かって、いじめに関する文化の違いが体験できたことなど、いい勉強になりました。


1.人はどうしてひとをいじめたりしますか。
私の町には、私が知っている限りいじめと言えることはありません。私の記憶では、子どものころは確かに周りに仲間に入れられない人がいたんですけど、みんながその子とあまり話さないだけで、完全に無視することはもちろんなかったし、わざと痛い目にあわせることもありませんでした。特に年を重ねるにつれて、いやな人を仲間に入れないことさえなくなってきました。子どもが大人の色に染まっていくという証で、少し残念な話でもありますが、子どもが成長して、他人に対して思いやりがあるようになった証でもあるので、いいことだと思います。
生き方や生活スタイルは人それぞれだと思います。他人に迷惑をつけたり、人を傷つけたりしない限り、ほっとけばいいどころか、他人がどういう生き方で生きて行くことは、元々私たちと関係ないと思います。ただし、人を傷つけたら、自ら嫌みや恨みを買っているので、いじめされても当然で、偶にはいい薬だと思っています。そうでなければ、人をいじめるのはいかにも子どもっぽい行為です。地球は誰かを中心に回るわけじゃないという考え方があって、つまり、世の中では気に食わないことがいっぱいあって、社会が私たちの意志に従わないのです。従わなければ、痛い目に遭わせてやるというのは…もちろん、それはそういう人たちの生き方で、私がどうのこうのと言う資格がありません。


2.いじめられた人はなぜ人をいじめますか。
いじめられた人は頑張れば、いじめを与える人の仲間に入れてもらい、のち、いじめから解放され、人をいじめるようになったということがあると聞いていますが、最初から人をいじめるより、いじめから解放されて自分が遭った事をほかの人に遭わせるほうがずっと許されないことだと思います。ただ、卑怯でも人への思いやりがなくても、そういう人たちの生き方で、私が何かしようとも何も変らないことなので、ほっとくことしかないですね。
でも、そういう人が減れば減るほどいいなぁとは思います。孔子の言葉「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」を知ってほしいなぁと思います。